1951年の創立以来、九州電力は電力を安定してお届けすることを通じて、お客さまの暮らしを支え、地域社会の発展に貢献してきました。時代の変化に向き合いながら事業領域を拡大し、新たな価値創造に挑み続けるキューデングループの歩みをご紹介します。
日本が戦後の混乱から復興に向けて歩み出し、サンフランシスコ講和条約に調印した1951年。戦時の国家管理のもと運営されていた日本発送電と地域ごとの配電会社(9社)は、全国を9つの供給エリアに分けた発送電・配電一貫の民営会社に再編され、その一つとして、5月1日に九州電力が創業しました。
戦後復興、そして朝鮮戦争に伴う特需景気により、高度経済成長へのステップを踏み出した時代。鉄鋼・石油化学造船などが主産業となり、家電機器・乗用車の生産も開始。産業の近代化と、神武景気・岩戸景気による産業の拡大が進み、電力需要は増大しました。
家庭でも蛍光灯に始まり、電気釜、電気こたつ、白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機などが急速に普及。その後、生活水準の向上に伴い、カラーテレビ、クーラーなども普及し、電灯需要も著しく増加しました。
電力需要の急増により、全国的に電力需給がひっ迫。九州電力も電源開発を進め、日本初の大型アーチ式ダムを有する上椎葉発電所(水力)や、大村発電所1号機など大容量の新鋭火力発電所を建設。九州北部の火力発電所や主要な電力消費地と南部の水力発電所を22万ボルト送電線で繋ぎ、九州の基幹系統を整備。これにより、全国に先駆けて電力供給の基盤を確立しました。
また、1955年に「原子力の平和利用」を基本方針に掲げた原子力基本法が制定され、九州電力は原子力研究室を設置。その後、原子力発電導入の方針を決定し、建設体制を整備しました。
| 1951年 | 九州電力創業 |
|---|---|
| 1955年 | 日本初の大型アーチ式ダムを有する上椎葉発電所(宮崎県)が運転開始 |
| 1956年 | 苅田発電所1号機(福岡県)が運転開始 |
| 1957年 |
当社初の超高圧送電線の中央幹線昇圧(22万ボルト)完成 大村発電所1号機(長崎県)が運転開始 |
| 1967年 | 日本初の事業用地熱発電所である大岳発電所(大分県)が運転開始 |
九州には豊富な水や地熱等の資源があり、その活かし方が注目されていました。そこで1953年、宮崎県を流れる耳川上流で上椎葉ダムの建設を開始。国内で前例がなく、現代のような建設機材もない中で、調査・設計・施工を一から学びながら取り組みました。そして1955年、高さ110メートルを誇る日本初の大型アーチ式ダムが完成しました。
1973年、第4次中東戦争を契機に第1次オイルショックが発生。エネルギーの約8割を輸入原油に頼っていた日本は大混乱に陥り、経済成長率も戦後初めてマイナスへ転じました。2度にわたるオイルショックの経験は、日本に省エネルギー技術の発展と、石油に代わるエネルギー源の開発・導入を促す大きな転機となりました。
電力需要は、節電意識の高まりによって伸び率こそ鈍化したものの、都市化の進展、百貨店やスーパーなどの商業ビルの増加・高層化、そしてライフスタイルの変化に伴う家電製品の大型化・多様化に支えられ、着実に増加していきました。
また、 1970~1980年代は、アメリカやイギリスでの規制緩和の動き、アメリカの対日貿易赤字拡大による日本市場の開放要求を背景に、日本でも情報通信や金融分野を中心に規制緩和や民営化が推進されました。
オイルショック以後、石油依存脱却のため、電源の多様化を進めます。1975年に九州電力初の原子力発電所である玄海1号機が運転を開始。その後、1980年代に玄海2号機、 川内1,2号機が運転を開始しました。火力発電では、1973年にLNG(液化天然ガス)の導入を決定し、1977年に新小倉1、2号機がLNG専焼での運転を開始。水力発電では、1975年に大規模純揚水式の大平1、2号機が、1977年には当社2か所目の地熱発電所となる八丁原1号機が運転を開始しました。また、1986年にはグループ初となる知名風力発電所が運転を開始するなど、新エネルギーの開発にも取り組みました。
1980年代には九州をT字型で横断する50万ボルト基幹系統(送電線)が完成。配電線の自動制御システム、無停電工法を全国に先駆けて開発・導入し、供給信頼度の向上にも取り組みました。
一方、オイルショック後の厳しい経営環境に対応するため、1982年に経営効率新展開運動本部を設置。九州電力が保有する経営資源を有効活用し、地域の高度情報化に貢献することを目的として、1987年に九州通信ネットワーク(現 QTnet)などの情報通信事業会社を設立しました。
| 1975年 |
九州電力初の原子力発電所である玄海原子力発電所1号機(佐賀県)運転開始 九州電力初の大規模純揚水発電所である大平発電所(熊本県)運転開始 |
|---|---|
| 1977年 |
新小倉発電所1、2号機(福岡県)が九州電力初のLNG専焼運転開始 九州電力2か所目の地熱発電所である八丁原発電所(大分県)運転開始 |
| 1984年 | 川内原子力発電所1号機(鹿児島県)運転開始 |
| 1985年 | T字型50万ボルト基幹系統完成 |
| 1986年 | 配電線自動制御システムを福岡営業所に日本初導入 |
| 1987年 | 九州通信ネットワーク(現 QTnet)等、情報通信事業会社3社を設立 |
| 1989年 | 九州電力初の海外炭専焼火力発電である松浦発電所1号機運転開始 |
石油危機により鈍化した経済の成長と安定化を目指し、日本政府は通信改革を断行。1985年には通信産業の活性化のため通信自由化に関する法案を施行しました。これを機に当社グループは情報通信事業に参入。現在では九州全域をカバーする通信インフラを確立するとともに、データセンターや生成AI、ドローン等、幅広い事業分野に挑戦し続けています。
1980年代後半に発生したバブル経済では、1989年に日経平均株価が史上最高値(当時)を記録します。しかしその後、株価と土地価格の下落が始まり、不良債権問題や金融機関の経営悪化に発展。日本経済は長期停滞期に入ります。
2000年代には、世界同時好況を背景に日本経済も回復局面に入りますが、2008年のリーマンショックを契機に世界的な金融危機、実体経済の悪化へと進展し、世界同時不況に陥りました。1980年代から進められてきた規制緩和の流れは電力業界にも及び、1995年には発電市場へ競争が導入され、2000年以降は電力小売り自由化が段階的に拡大していきました。
また、地球温暖化問題への対応が国際的な課題となるなか、1997年に京都で開催された気候変動枠組条約第3回締約国会議(COP3)では、温室効果ガスの削減目標などを盛り込んだ京都議定書が採択され、国や自治体、企業による温室効果ガス削減に向けた取組みが本格化しました。
バブル経済崩壊後の景気低迷にもかかわらず、電力需要は堅調に伸びていきました。こうした中、電力の安定供給とコスト低減を図るため、1991年に新大分1号系列(LNG火力)、1994年、1997年に玄海3,4号機(原子力)、1995年に苓北1号機(石炭火力)、山川発電所(地熱)、2007年に小丸川4号機(揚水)の運転を開始するなど、電源の多様化を推進します。また、低炭素社会の実現に向けて再生可能エネルギーも積極的に導入し、2003年には甑島風力、野間岬ウィンドパークの運転を開始しました。さらに原子燃料サイクルの確立を目指し、2009年に日本初のプルサーマル発電を玄海3号機で開始しました。
電力規制緩和の段階的進展や国内電力需要の伸びの鈍化等を背景に、海外事業参入の検討を開始。1999年には、海外事業に特化した業務を行うキューデン・インターナショナルを設立しました。また、2009年 には日本で初めて太陽光オンサイト発電事業を行うキューデン・エコソル(現九電みらいエナジー) を設立。経営環境の変化を機会と捉え、積極的に事業を展開しました。
時代が変化する中でも、社会やお客さまとの長期的な信頼関係を築くため、2007年には新たな企業理念として「ずっと先まで、明るくしたい。」を制定。地球温暖化問題や企業の社会的責任(CSR)に関する社会の関心の高まりから、「九州電力グループ環境憲章」、「九州電力グループ行動憲章」などを制定し、社会との共生と持続可能な事業運営を目指しました。
| 1991年 |
九州電力初のガスコンバインドサイクルを採用した新大分発電所1号系列(大分県)運転開始 九州全域に猛威を振るった台風19号により、九州電力創立以来最大の約210万戸が停電 |
|---|---|
| 1994年 | 玄海原子力発電所3号機(佐賀県)運転開始 |
| 1995年 | 苓北発電所1号機(熊本県)運転開始 |
| 1999年 | キューデン・インターナショナル設立 |
| 2001年 |
九州電力初の海外事業案件メキシコ・トゥクスパン2号 IPPプロジェクト開始 |
| 2003年 | 甑島風力発電所、野間岬ウィンドパーク発電所(鹿児島県)運転開始 |
| 2005年 | 日本最長(当時)の電力海底ケーブルによる五島連系設備運用開始 |
| 2007年 | 新たな経営理念「ずっと先まで、明るくしたい。」を制定 |
| 2009年 |
玄海原子力発電所3号機で日本初のプルサーマル発電開始 日本初の太陽光オンサイト発電事業を行うキューデン・エコソル設立 |
1990年代以降、当社グループは成長性の高いアジアを中心に、世界各地で発送電等の事業に取り組んでいます。技術者・商務担当者を現地へ派遣し、事業に深く参画することで知見を蓄積。培った知見を各案件で活用し、成長のサイクルを構築しています。海外事業を開拓してきたスピリットをもとに、これからもグローバルな課題解決に貢献していきます。
2011年3月11日。東北地方太平洋沖地震による大きな津波が東京電力・福島第一原子力発電所に到達。原子炉への注水や状態監視などの安全上重要な機能を喪失し、炉心を損傷する過酷事故が発生しました。この事故を受け、2012年に原子力発電所の安全規制を担う「原子力規制委員会」が発足。2013年に「新規制基準」が施行されました。
原子力発電所事故と、それに続く深刻な電力需給ひっ迫を背景に「電力システム改革」が進み、2015年に電力広域的運営推進機関が設立、2016年に電力小売り全面自由化、2020年に送配電部門の法的分離が実施されました。再生可能エネルギーの普及拡大のため、2012年に再エネ固定価格買取制度(FIT)が開始されました。
一方、2016年の熊本地震をはじめ、全国各地で地震や台風、大雨等の自然災害で甚大な被害が発生しました。また、2022年には、ロシアがウクライナに侵攻。天然ガスや石油などエネルギー資源の確保が厳しさを増し、価格も高騰しました。
福島第一原子力発電所事故により、原子力の安全性に対する社会の信頼は大きく損なわれ、2011年末までに九州電力の原子力発電所は全基停止。その後、様々な安全対策を講じ、新規制基準への適合性審査や地元のご理解を経て、2015年に川内1号機が国内で初めて通常運転に復帰しました。 熊本地震では、送電鉄塔周辺の土砂崩れ等により広範囲に停電が発生。協力会社に加え、全国の電力会社からの応援も受け、復旧作業に全力で取り組みました。 2010年代後半には、FIT制度の導入により太陽光等の再生可能エネルギーが急速に普及。国の優先給電ルールに基づき、再生可能エネルギーの導入拡大と電力の安定供給の両立を図っています。
また、電力システム改革の進展に伴い、2020年に送配電部門を「九州電力送配電」として分社化。同年、都市開発、不動産、インフラサービスの各事業間の連携を強化して社会や市場の動向に対応するため、「都市開発事業本部」を設立しました。 2025年には、中長期的な経営の方向性として「九電グループ経営ビジョン2035」を策定。2026年には九電グループの更なる成長に向けて「キューデンホールディングス」を設立し、 HD体制に移行します。
| 2010年 | 九州電力初の大規模太陽光発電所であるメガソーラー大牟田発電所(福岡県)運転開始 |
|---|---|
| 2011年 | 九州電力の原子力発電所が全機停止 |
| 2014年 | キューデン・エコソルを九電みらいエナジーに商号変更 |
| 2015年 |
玄海1号機運転終了(2019年に2号機も運転終了) 川内1号機通常運転復帰 |
| 2016年 |
熊本地震により最大47.6万戸が停電。電力各社からも応援要員・電源車などを派遣 世界最大級(当時)の大容量蓄電システムを備えた豊前蓄電池変電所(福岡県)運用開始 |
| 2017年 | インドネシア・サルーラ地熱IPPプロジェクト運転開始 |
| 2019年 |
松浦発電所2号機(長崎県)運転開始 「九電グループ経営ビジョン2030」策定 |
| 2020年 |
九州電力の送配電部門を「九州電力送配電」として分社化 都市開発、不動産、社会インフラ(空港運営等)事業を一体的に担う「都市開発事業本部」設置 |
| 2021年 | 「九電グループ カーボンニュートラルビジョン2050」策定 |
| 2024年 |
九州電力の地熱事業を九電みらいエナジーに承継 (主要再エネ[太陽光・風力・バイオマス・地熱・水力]5電源を保有) |
| 2025年 | 「九電グループ経営ビジョン2035」策定 |
| 2026年 |
高効率のLNGコンバインドサイクルである「ひびき発電所」(福岡県)運転開始 国内最大(完成時)の洋上風力「北九州響灘洋上ウインドファーム」運転開始 |
当社グループは、長年の電気事業を通じて土木建築や不動産管理、ICT等のノウハウを培ってきました。都市開発は新たな電力需要を創出し、グループ全体の収益拡大も期待されます。2020年に都市開発事業本部を設立し、都市開発事業に本格的に参画しました。電力会社だからこそ発揮できる強みを活かし、魅力的なまちづくりに貢献していきます。